でも、当時は、そうじゃなかったんだ。 ワイドショーも、週刊誌も、みんなの日常会話も「オウムという変な連中」のことを、面白おかしくネタにして、バカにしていたのです。 本当は、そこで誰かが「笑ってる場合じゃないよ」って言うべきだったんだ。 言っていた人がいても、僕の耳に届かなかっただけなのかもしれないけれど。 大人は、子供たちに「自分たちは、最初は『オウムで遊んでいるつもり』だったのだ」と告白すべきではないのか。
『レッド』から、『約束された場所で』 - いつか電池がきれるまで
①実際のヒトラー個人
②人々の無意識の中にに存在する差別主義、ファシズムに対する欲求の象徴
と2つの要素で構成され
小説では①が映画では②の要素が大きく
描かれています。
シリア難民、移民の問題点が映像として写されるので
分かりやすいし、説得力があります。
やはり映像の力は大きい。
そして上手く整理した製作陣は素晴らしい。
初めてヒトラーがTV番組に出た時に行う演説も分かりやすかった。
「TVは文明の利器なのに写されるのは料理番組や低俗な番組ばかり!若者や老人の失業に光りを当てる事なくそんな状態で良いのか!」
という批判は何処の国でも共通している様です。
ただ、小説の方がタイムスリップしてきたヒトラーの心理が描かれているし、
クレマイヤー嬢との分かり合っているようでそうでないコミュニケーションや、ヒトラーの対人評価は面白い。
小説を読んでから見ると中盤までの作りは面白いけどちょっと軽いなー、
と思いながら観てましたが、後半の作りは上手かった。
小説が書かれたのは2014年それからの2年間は欧州にとって苦難続きでそれを映像に乗せられるのは大きかったし、遊び心を感じられる作りです。
タイムスリップ物のコメディ要素。
ヒトラー的なる物は常に自分達の中に居るというメッセージ。
民主主義が独裁者を選んだという矛盾。
そしてそれに荷担する視聴率主義のメディア。
若者がヒーローに目覚める映画は多いですが
ヒトラーが独裁者になって行く過程を観ることが出来る映画は珍しい。
誰もが知っている"悪の親玉"キャラのヒトラーというアイコンが
上手く使われています。
小説、映画共に面白かったです。