男という名の絶望

男だったらこうすべき。

男だったらこれが出来て当たり前。
 
"男らしく"ありたい
でも"男らしく"生きられない。
 
自分の中にある"こうすべき"に縛られて
追い詰められていく男達
 
"男らしさ"というのは便利なツールだ。
男を操ろうとする誰かにとっては。
 
誰か、とは
男らしくない男に"男らしさ"を売る商売人
"男らしさ"をエサに男を動かそうとする女や上司
 
特に"女らしさ"に縛られたくない女達が
男に対して"男らしさ"という縛りを掛けた上で批判
を行いダブルバインドを行って来たりする。
フェミニストが"女らしさ"から開放を声高に叫んでも
男が胸の中で憎悪と反発心を募らせるのはこの為だ。
 
そんな中で素直に"男らしさ"を追求しようとする
男達は心を病んで行く。
 
弱音を吐く事は"男らしく"ないから言わない。
泣くことも出来ない。
 
自分自身が苦しい思いに蓋をしているから
他の男の苦しさも認めない。
そして"男と言う名の病"は存在しているのに
存在していない状態になる。
 
そんな"男らしさ"に苦しむ人達にとって本書は
心を和らげてくれる。
苦しみに寄り添ってくれる誰かがいる。
理解しようとしてくれる誰かがいる。
同じように苦しんでいる誰かがいる。
というだけで心が楽になります。
 
 
なんか生き難い、と思っている人は一読してみてはどうでしょうか。
 
 
 

ファインディング・ドリ-

吹き替え版で観賞しましたが妙に気になる点が多く感じました。
 
何で八代亜紀なのか。
何であんなに可愛くないベッキーやオットセイを出したのか。
2匹のオットセイは何であんなに岩場に拘るのか。
 
「治して、育てて、海に帰す」
というメッセージもやたら連呼されるんですが
シーシェパードを思い出して映画と別の部分で心が
ザワついたり。
そもそも水族館を否定したらファインディング・ニモも本作も作れなかったでしょ。
ドリーやニモの生態を把握するために水族館は不可欠でしょう。
 
あとマーリンとニモは今回必要だったのか。
タコのハンクとクジラのディスティニー、ドリ-の両親等の新キャラだけの方が脚本はスッキリするんじゃないか。
 
と、なんかチグハグに感じてしまいました。
 
面白かったのは"忘れる"という能力しかないように
見えるドリ-のキャラクターです。
 
忘れるというのは人の本質の1つだと思います。
 
悲しいことも、大切なことも忘れてしまう。
日常の中では大切な事を忘れなくてはいけないが
自分にとって大切な事を思い出す事で感じられるカタルシス。
インサイドヘッドでもこれが使われますね。
 
死んでしまった母との思い出。
苛められた時の孤独感や情けなさ。
大切な人を傷つけてしまった言葉。
自分を変えたくてもがいた時期。
自分を受け入れてくれたあの時のあの人。
 
映画のキャラクターが大切な事を思い出す瞬間、
観客の僕たちも"過去との遭遇"を体験しています。
 
大切な家族に会いたいって気持ち、分かる?
 
"忘れる"しかないドリ-だけど彼女には現代っ子には
ない能力があります。
"仲間を作る"能力です。メチャメチャどデカい能力ですよね。
少しオラにも分けてくれ。
 
そしてロリっ子ドリ-は可愛かった。
大人になるとナンヨウハギ室井滋なのに。
可愛さの欠片くらい残してあげてよ。

 

トラ・トラ・トラ!(後編)

いざ見始めると、長かった…。

ヒトラー最期の12日間に続き、この映画も
途中休憩を挟むんだね…。

感想としてはアメリカ側でもなく、日本側でもない
意外と公平な目で作られてるなー、と感じました。

アメリカ側パートは割りと淡々と、
日本側パートは作られた時代もあるのか
割りと日本人が元気(というか無邪気)です。

その中でも日本軍上層部はキリッとしているんですが
宣戦布告をする前に攻撃を仕掛けてしまったり
暗号を全部解読されていたり
アメリカ軍もその解読した暗号を上手く活かせなかったり
肝心な処で零戦の部隊を見逃してしまったりと

大きな舞台で小さなミスが大きく成長してしまうのを
目の当たりに出来ます。

戦争って思った通りに運ばないよな

という当たり前の事実を改めて認識出来る興味深い
作品でした。

そして零戦に爆破される米軍機はこの時代だから
出来たんだろーな。
というCG無しのガチ飛行機。
迫力有ります。

トラ・トラ・トラ!(前編)

以前ハワイに行ったときに戦艦ミズーリ号を見学しました。

そこに行く前はかつての敵国が日本人をどうやって
受け入れるんだろうか、妙な差別はされないだろうか。
と複雑な気持ちでした。
ミズーリ号はアメリカ人にとって靖国神社のような存在
と言われてなんとなく納得もしつつ。
ミズーリ号に乗ってガイドの日系人の方が
「あの山の向こうから零戦が○○機、向こうの方角から○○機来て…」
という話を聞いていると
真珠湾攻撃がどのくらい大規模な作戦だったのか実感出来ます。

ミズーリ号の内部は日本人向けに大戦で散って行った
若者達が恋人や母親、家族に送った手紙や写真が
展示されており、死を眼前にした人達の想いに
涙が抑えられません。

同時にアメリカはスゲーな…と思いました。
かつての敵国に対して
「私達はこんなに日本人に気を使っているよ」
というメッセージを出す事で日本人は感謝し、
その復讐心を消失させる。
イメージ戦略としては大成功でしょう。

その見学の途中でアメリカの戦闘機の展示場の
土産物売り場でこの「トラ・トラ・トラ!」が
放映されていました。

池上総選挙

面白かった。

 
池上さんには長生きして欲しい。
印象が良かったのは谷垣さん。小泉進次郎さん。
池上さんに正面から答えようとしている点が好印象。
立場上逃げられないけど。
 
逆に神奈川県の神武天皇の人は大丈夫なのか。
 
最近気になる日本会議は年寄りだらけ。
ポスターも懐古主義的でビビる。
日本という国はホントに老いているんだな。
 
改憲vs護憲というテーマに絞っての番組だったけど
それぞれのメリット、デメリットについても解説して欲しいところ。
 
個人的には日本の対外政策としては
韓国のロビー活動や、中国の尖閣諸島に対する主張に負けないような
説得力のある発信力=世界に対するコミュ力の強化が必要だと思っている。
 
その為に9条はイジらなくても良いかなとも思うが
同時に江戸末期の日米間の力の差を認識していたのは
幕府であり、アメリカの戦力の前にとりあえず
頭を下げたのは現実的であった事を考えると結局
情報の集まる処は政府であり、その情報量から導き出される答えは
国民の出す答えより方向的には正しいのかな、とも思う。

ヒトラー最期の12日間

帰って来たヒトラーを観て

改めて自分がヒトラーの事をよく知らない事に
気付き、改めて本作を観ました。
 
二部構成になっているため、
途中でDVDが壊れてるんじゃないかと思ったけど
ただ前半が終っただけでそうじゃなかった。
 
今までこういう重い映画は避けて来ましたが
30を越えると社会的な作品がより身近に感じます。
 
観てる途中、ヒトラーも周囲の人達も
戦争が負ける事に気付いていながら何故終わらせることが出来なかったんだろう、
と思ったけどヒトラーを始め、軍部も国民も
アーリア人の復興という大きな物語に取り憑かれていたんですね。
その原因は第一次世界対戦に負けた事、更にそこに至るまでの歴史があって…。
 
最後までヒトラーに忠誠を誓う兵士は敗戦を知ると自決。
ゲーリング夫婦は自分達の幼く無邪気な子供たちを毒殺して自決。
 
誇り高さなのか、軍事裁判で負ける事が分かっているからなのか…。
 
敗戦のドサクサに紛れて気に入らない人間に
非国民のレッテルを貼って殺し合う国民。
 
無邪気に敗戦国の物を弄ぶ戦勝国の兵士達。
 
これは敗戦直後の日本の物語でもあるのですね。
限界の中で生きる人達のドラマ、長い作品ですが観て良かった。
 

【映画】帰って来たヒトラー 最初はみんな笑ってた

 

でも、当時は、そうじゃなかったんだ。 ワイドショーも、週刊誌も、みんなの日常会話も「オウムという変な連中」のことを、面白おかしくネタにして、バカにしていたのです。 本当は、そこで誰かが「笑ってる場合じゃないよ」って言うべきだったんだ。 言っていた人がいても、僕の耳に届かなかっただけなのかもしれないけれど。 大人は、子供たちに「自分たちは、最初は『オウムで遊んでいるつもり』だったのだ」と告白すべきではないのか。

『レッド』から、『約束された場所で』 - いつか電池がきれるまで

 

 
"帰って来たヒトラー"に描かれるヒトラー
 
①実際のヒトラー個人
②人々の無意識の中にに存在する差別主義、ファシズムに対する欲求の象徴
 
と2つの要素で構成され
小説では①が映画では②の要素が大きく
描かれています。
 
映画ではYouTubeTwitter
シリア難民、移民の問題点が映像として写されるので
分かりやすいし、説得力があります。
やはり映像の力は大きい。
そして上手く整理した製作陣は素晴らしい。
 
初めてヒトラーがTV番組に出た時に行う演説も分かりやすかった。
「TVは文明の利器なのに写されるのは料理番組や低俗な番組ばかり!若者や老人の失業に光りを当てる事なくそんな状態で良いのか!」
という批判は何処の国でも共通している様です。
 
ただ、小説の方がタイムスリップしてきたヒトラーの心理が描かれているし、
クレマイヤー嬢との分かり合っているようでそうでないコミュニケーションや、ヒトラーの対人評価は面白い。
 
小説を読んでから見ると中盤までの作りは面白いけどちょっと軽いなー、
と思いながら観てましたが、後半の作りは上手かった。
 
 
小説が書かれたのは2014年それからの2年間は欧州にとって苦難続きでそれを映像に乗せられるのは大きかったし、遊び心を感じられる作りです。
 
タイムスリップ物のコメディ要素。
ヒトラー的なる物は常に自分達の中に居るというメッセージ。
民主主義が独裁者を選んだという矛盾。
そしてそれに荷担する視聴率主義のメディア。
 
若者がヒーローに目覚める映画は多いですが
ヒトラーが独裁者になって行く過程を観ることが出来る映画は珍しい。
 
誰もが知っている"悪の親玉"キャラのヒトラーというアイコンが
上手く使われています。
 
小説、映画共に面白かったです。