彗星よりも早く走れ。「君の名は」2回目

 

スパークルのカバー動画を聞いていたら何故か無性にもう一回観たくなって映画館まで足を運びました。

一回目は全く期待しないで行ったから、音楽も映画の勢いに呑まれてちゃんと聞いていなかったし。

でも、シン・ゴジラの二回目を観た時には一回目程感動しなかったので

「俺は音楽と映像を鑑賞しに行くんだ。」ハードルを下げて行きました。

その結果

 

最高だった。

現在アラサー越えが近い僕がこの映画観て思い出したのは自分の高校時代。

お気楽でボンクラな僕は両親や学校、部活に守られて、不良に殴られたり、数学のテストで4点取ったり、

好きな人に軽蔑されたりしつつも、今思えば呑気な学生生活を送っていました。

 

その頃の朝の光は映画のようにキラめいていたし、

なんとなく将来を疑わなかった時代です。

そして他人には分からない”何か”を追いかけていたあの頃。

その”何か”は自分にとってとても大切だけど、傍から見ていれば滑稽で笑いの種だったりして。

自分自身を全肯定出来た時代を過ぎて、社会からの風当たりの強さ、他人や異性からの評価をより意識し、不完全で弱い僕は己の未熟さをその”何か”のせいにして捨ててしまったけれど。

 

でもその”何か”のお陰で知らない人に助けてもらったり、道を教えて貰った事もある。

大切なハズの”何か”を忘れてしまう悲しみを体験することも出来た。

記憶は本当に失われていく。

手ですくった水が指を通り抜けていくように。

 

社会に出て10数年。

パワハラやそれに対抗するためのスルースキルの獲得。

社内政治、競合他社との地味にギスギスする感じや顧客企業との主導権争い。

高校生の頃、淡くぼんやりと人間が好きだったけれど利害関係で他人を計る事が多くなって、それは自然で当然かもしれないけれど。

上がらない給料や社会からの疎外されそうな不安感。

婚活や母の死。

 

高校生の時よりもリアルでガチな、現在の生存競争を生きていれば尚更忘れる速度も速くなります。

 

映画を観ていて”結び”の話がありました。

「絡まって、戻って、それは時間。それが結び」という話がありましたが僕は映画を観ていて高校生に戻った感覚を感じました。

映画はキャラクターに過去との遭遇を経験させることで観客自身をその過去に戻す力がありますが、本作の瀧や三葉を観ていて自然と高校時代を思い出しました。

 

一回目に観た時はちょっとナメたスタイルで観ていたのですが

二回目ではしっかり者の妹はトトロのメイに重なりました。大切な母を亡くしてそれでもしっかりしようとしている感じが。

「僕が愛したのは一葉です。神社じゃない。」と言う、普段分からず屋で高校生には理解しにくい三葉のオヤジが大切にしていた母の思い出。

こういうシーンを入れることでキャラクターの実在感が立ち上がってきます。

 

地域の人間関係や家業を背負わざるを得ないてっしー事、勅使河原と三葉のプレッシャーが前半で描かれているからこその後半の痛快な暴走(にも見える避難誘導)。

からのRADWIMPSの音楽に合わせた隕石衝突とその災害回避のため奔走。

やっぱり未来は変えられないのか。忘れてしまう大切な人。掌に書かれた言葉。

という情報量でジブリピクサーでも見られないような疾走感。やっぱりアツいです。

 

瀧が最後に三葉と入れ替わった朝のヌケの良さも良いですよね。

こんな朝でも泣きながら揉むんだなって。

全体的に緊張と緩和のバランスが良いです。

 

「君の名は」二回目もやっぱり最高でした。

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