イニシエーション・ラブ
80年代の男女の恋愛を描いた作品で、ラストにどんでん返しが待っている、
という作品。
当時AKBを卒業した前田敦子が主演をするということで主にAKBクラスタで
話題になった作品。
~以下ネタバレ含む感想です。~
話のテンポも良いし、80年代の音楽も良い。
世界のマエアツこと、前田敦子がクソ可愛いし
舌足らずな話し方や子犬っぽい演技も上手い。
もうこの作品はマエアツじゃないとダメだよねって思ってしまうから凄い。
モテない鈴木夕樹がクリスマスのイルミネーションの前ではしゃいでいるのを見ていると、
自分と重ねて、良かったねえ!と微笑んでしまう。
気持ち分かるよ。
ただオチが脱力させられる。誰得なんだろうか。
女子的には鈴木達也にリベンジしてやった。という気分でメシウマなのか。
いや、まぁ分かるんですが。
するってぇと鈴木夕樹の立場って一体。
僕自身は達也より夕樹側の人間だからモヤモヤする。
大切にしてくれれば誰でもいいのかと。
でも恋愛ってそういう要素もあれば、やっぱり感性がどこかでマッチしていなければ
成り立たないんじゃないかとも思う。
繭子はやっぱり鈴木夕樹の事が好きだったのかな。ダサさも含めて。
頼む、そうであってくれ。
でも元カレと今カレのあだ名が一緒ってやっぱり繭子怖いよ~。
所詮繭子にとって男は誰でもいい感が出過ぎてるよ~。
女の恋愛は上書き保存って言うけどさ。早すぎるよ~。
プレゼントまで一緒て。
鈴木達也の立場ならどうだろう。
なんだかんだ言って自分の身を振り返るとそういう事もあった。
色々気を使ってくれる彼女の気遣いを当たり前に思って自分の事で一杯一杯で彼女の将来まで
考えられる余裕がなくて。
でもそれはそれで仕方ないよなあ、と思ったりもする。
彼女の気遣いに乗っかり過ぎると、とんだしっぺ返しが来ると。
男の人には胸に刺さるものが有るハズです。
正にイニシエーション・ラブ。
観て損はありません。
江口のりこが好きだ。
ドラマ「地味にスゴい!校閲ガール・河野悦子」で久しぶりに江口のりこを見た。
いつもキレ気味の演技。
イライラした感じの役ばかりだ。
絶対に側に居たくない。
目付きが悪いし、いつ怒られるか分からないし、誉めてくれる事も無さそうだし、笑顔を見せてくれる事も無さそうだ。
そして笑顔を見せてくれても案外可愛くない。
しかし何故か画面に写ると目で追いかけてしまう。
妙な色気を感じる。
振り向いてくれない人を追いかけてしまう習性なのか。
面白味のない自分に足りない強い個性に引かれているのか。
それでも以前より雰囲気が丸くなったかな。
彗星よりも早く走れ。「君の名は」2回目
スパークルのカバー動画を聞いていたら何故か無性にもう一回観たくなって映画館まで足を運びました。
一回目は全く期待しないで行ったから、音楽も映画の勢いに呑まれてちゃんと聞いていなかったし。
でも、シン・ゴジラの二回目を観た時には一回目程感動しなかったので
「俺は音楽と映像を鑑賞しに行くんだ。」ハードルを下げて行きました。
その結果
最高だった。
現在アラサー越えが近い僕がこの映画観て思い出したのは自分の高校時代。
お気楽でボンクラな僕は両親や学校、部活に守られて、不良に殴られたり、数学のテストで4点取ったり、
好きな人に軽蔑されたりしつつも、今思えば呑気な学生生活を送っていました。
その頃の朝の光は映画のようにキラめいていたし、
なんとなく将来を疑わなかった時代です。
そして他人には分からない”何か”を追いかけていたあの頃。
その”何か”は自分にとってとても大切だけど、傍から見ていれば滑稽で笑いの種だったりして。
自分自身を全肯定出来た時代を過ぎて、社会からの風当たりの強さ、他人や異性からの評価をより意識し、不完全で弱い僕は己の未熟さをその”何か”のせいにして捨ててしまったけれど。
でもその”何か”のお陰で知らない人に助けてもらったり、道を教えて貰った事もある。
大切なハズの”何か”を忘れてしまう悲しみを体験することも出来た。
記憶は本当に失われていく。
手ですくった水が指を通り抜けていくように。
社会に出て10数年。
パワハラやそれに対抗するためのスルースキルの獲得。
社内政治、競合他社との地味にギスギスする感じや顧客企業との主導権争い。
高校生の頃、淡くぼんやりと人間が好きだったけれど利害関係で他人を計る事が多くなって、それは自然で当然かもしれないけれど。
上がらない給料や社会からの疎外されそうな不安感。
婚活や母の死。
高校生の時よりもリアルでガチな、現在の生存競争を生きていれば尚更忘れる速度も速くなります。
映画を観ていて”結び”の話がありました。
「絡まって、戻って、それは時間。それが結び」という話がありましたが僕は映画を観ていて高校生に戻った感覚を感じました。
映画はキャラクターに過去との遭遇を経験させることで観客自身をその過去に戻す力がありますが、本作の瀧や三葉を観ていて自然と高校時代を思い出しました。
一回目に観た時はちょっとナメたスタイルで観ていたのですが
二回目ではしっかり者の妹はトトロのメイに重なりました。大切な母を亡くしてそれでもしっかりしようとしている感じが。
「僕が愛したのは一葉です。神社じゃない。」と言う、普段分からず屋で高校生には理解しにくい三葉のオヤジが大切にしていた母の思い出。
こういうシーンを入れることでキャラクターの実在感が立ち上がってきます。
地域の人間関係や家業を背負わざるを得ないてっしー事、勅使河原と三葉のプレッシャーが前半で描かれているからこその後半の痛快な暴走(にも見える避難誘導)。
からのRADWIMPSの音楽に合わせた隕石衝突とその災害回避のため奔走。
やっぱり未来は変えられないのか。忘れてしまう大切な人。掌に書かれた言葉。
という情報量でジブリやピクサーでも見られないような疾走感。やっぱりアツいです。
瀧が最後に三葉と入れ替わった朝のヌケの良さも良いですよね。
こんな朝でも泣きながら揉むんだなって。
全体的に緊張と緩和のバランスが良いです。
「君の名は」二回目もやっぱり最高でした。
スーサイドスクワッド
映像的な世界観は上手く作れているのに、イマイチ突き抜け感が無いのは脚本のせいだと思う。
僕は基本的に脚本の構成よりも映画そのものに勢いがあれば気にしないし、矛盾点は拘らないというより、気付けない事の方が多い。
それでも本作の脚本は雑だと思ってしまう。
罪の重さと比較すると、共感力の高い犯罪者達。
その共感力があれば犯罪起こさなくて良いのに。
お涙頂戴のシーンを入れるならひたすら自分の事しか考えないキャラクターにして突き進んでくれた方がヌケが良いと思う。
どうせ世界を破滅から救ってもまた犯罪起こすんでしょ?
という言葉が頭をグルグル回って集中できない。
それを考えるとデッドプールは同じ様な悪キャラでエグいジョークも悪ノリな残酷描写も突き抜けてる。
チョイ古な音楽、普段は悪役だけど、悪役から大切な人を助ける、という同じ様な構成なのに何でこんなに差が着いた…。
スーパーマンやバットマンの世界観ならこの前の作品で本作のキャラクターをチラ見せさせないと、キャラクター紹介でストーリーの3分の1を使って物語が薄くなる事を防げたんじゃないか。
なんか全体的にとっ散らかってしまっている印象。
ウィル・スミスが美味しかった。
ほぼ彼の為の映画でした。
日本市場向けのオマケキャラだと思ってたけど意外にカタナの衣装が一番カッコいい。
案外美味しい役でした。
けど「見えない!」はちょっと笑っちゃう。
君の名はとシン・ゴジラはコインの裏表
どちらも震災がモチーフになっている。
片方は様々なパワーバランスの上で
もう片方は恋愛を通して。
「こうであって欲しい」
という願いは映画の中で叶えられる。
皆の力を合わせれば。
震災の直前に戻れれば。
現実は違う。
福島原発が「アンダーコントロール」というのはどうしようもない嘘っぱちだ。
皆で力を会わせようと思っても縦割り行政と保身的な企業の前に怒りばかりが燻っている。
でも政府の嘘に怒るのは疲れたし
「放射脳」だ、「推進派」だ、と国民同士で蔑み合うのも疲れたし、
大切な人を思い出して悲しむのも少しだけど心が落ち着いてきた。
そんなタイミングでこの2つの作品は顔を出した。
原発を語ればお互いの主義主張でいがみ合うけど、映画を通して語れば自分のモヤモヤした感情を少し昇華出来る。
主義主張は譲れないけど映画の感想なら語り合える。
多分、本当は皆不安で語り合いたいのだ。
行く手は明るくないけれど。
それでも前に進むしかないから。
ジャングルブック
僕がモーグリよりも幼い頃、父が読んでくれたのがジャングルブックだった。
好きだったのは大蛇のカー。
小説ではカーはモーグリを可愛がるお爺ちゃんで、バンダーログの猿達からモーグリを助ける為に大活躍をする。
脱皮をすれば自分の瑞々しく生まれ変わった自分の体を満足気に眺めるナルシストな面も持ちながら、他の動物を捕食する時には催眠術をかけ、その効果は猿だけではなく、バギーラ等も引き込む力を持っている。
長生きで知恵者、肉弾戦だってかなりの強さだ。遺跡の壁だって頭突きでぶち破れる。
そんなジャングルのヌシ的なカーがディズニー版では何故間抜けな敵役になってしまったのか…。
他に記憶に残っているのは洞窟の中で宝を守る白いコブラだ。
ジャングルの動物は食べる為だけに命を奪うが人間が遺跡の財宝を巡って殺し会う不思議さをモーグリの視点から語られる。
それこそ少年時代の僕にとっても当時は不思議に思ったりした。
そんな思い出から映画を見に行った。
予告ではカーがディズニー版と同様の敵役だし、原作では若いオオカミ達やモーグリに森の掟を教える教師役のバール―が、だらしないオヤジキャラだし、そこまで期待はしていなかった。
が、結論としては楽しかった。
ディズニー版と原作の良いところが取り入れられ、リアルな描写で可愛かったり怖かったりと観ていて楽しい。
コミュニティの中で異質な自己の肯定というのが映画のテーマだと思うが、モーグリが”自分らしさ”で子象を助けるシーンはグッときた。
シーア・カーンはガチで恐いし、テーマも押し付けがましくない。
ただ、吹き替え版で見たので人の声が明瞭過ぎて残念。もののけ姫の猿、猪、オオカミ達のくぐもった声は発明だったのだなぁ。
もはや完全に別の歌だけどリトルグリーンモンスターの「君のようになりたい」
は好きだ。
しかしジョン・ファブロー監督はどんだけスカーレット・ヨハンセンが好きなんだろうか。
「君の名は」が最高だった。
そもそも新海誠監督の映画をまともに観たことはないのにジメジメした恋愛映画を作るイメージで敬遠していた。
恐らく予告を観てそう思ったのだろう。
今敏、細井守は結構好きだったのはそこまで恋愛が前面にくる作品ではなかったからだと思う。
本作を観たのはたまたま時間が空いていたからで、ホントはスーサイド・スクワットを見ようと思っていた。
観る気はなかったので軽くレビューを読んだらディザスタームービーであるらしい。
予告編だけは観ていて「高校生の男女が入れ替わるのか~、ツマンなそ~。」と思っていた。
で、たまたまタイミングが合ったので「ツマンなそ~」と「ディザスタームービー」がどう繋がるのか観てみたら
傑作だった。
始めは主人公はナヨナヨしたオタク系男子、というアニメオタクが好きそうなキャラクターかと思っていたが、弱いのに喧嘩っぱやい奴ということで好印象だし、
ヒロインが神社の巫女で「うわ~出た!オタクの願望的女子!エロゲーかよ!」という目線で観ていたらその妹が「お姉ちゃん"それ"を売って東京行きの資金にしようよ。メイキング作ってさ。絶対売れるよ。」というセリフで監督、分かってるね!と好感度が上がって気にならなくなる。
"それ"は映画を観て確認してほしいけど。
「オタクの願望的女子かよ!」等の気持ちをスッと解消してくれるのを「抜けが良い」って言うのだろう。
男女入れ替わりの場面もテンポが良くて楽しい。
ヒロインが流れ星を見つめるシーンからの物語の転換もガラッと雰囲気が変わってストーリーを締めてくれるし、終盤のヒロインとその友人達の企てもタイムリミットに終われる緊迫感と、「何かやってやろう」という高校生のイタズラ心がワクワクする感じが相まって疾走感があって良い。
転んだ時の掌の文字は、
ずるい。
の一言だ。凄く良い意味で。
ラストまでダレる事なく観る事が出来、非常に面白かった。
シン・ゴジラではリアルな3.11をゴジラを通して描いていた。
本作の流れ星が描いているのは3.11だけではない。チリの大地震、フィリピンの大津波など世界の災害全てを描いていると思う。
そして「あの時ああしていれば大切な人達を助ける事が出来たのに」と生き残ってしまった人達の心に残る作品だと思う。
そういう意味では世界的に普遍なテーマを持っている。
こうであって欲しい、という思いが詰まっていたし、ひとつの映画としても上手く成り立っている。
3.11を正面から語れなくても、ゴジラや本作を通じてあの頃を語る事で癒されるモノがある。
という意見を聞いた。
あの頃の映画は他にもあるけれど多くの人がどこかで語れるタイミングが今なのだと思う。